全日本洋服協同組合連合会(全服連 JFMT)がホームページ公開

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全日本洋服協同組合連合会(全服連 JFMT)がホームページ公開

全日本洋服協同組合連合会(#略称:全服連、JFMT)がホームページを公開した。

アドレス=https://www.zenpukuren.jp/

テーラー(注文洋服)&仕立て職人を中心に組織する東京、愛知、大阪、兵庫の4組合が傘下となって、業界の発展、後進・若手育成に取り組む。
2021年8月、名古屋で世界注文洋服業者連盟主催による「第39回世界大会」が開催されるにあたり、全服連が一致団結、協力して成功に取り組む。現在、新型コロナウイルスの感染拡大により、計画に進行がやや遅れているが、4組合の理事長、大会会長である神谷裕之全服連理事長(名古屋)が全力で推進している。
なお、世界大会の詳細は、近々公開の予定である。

参考データ

【全服連沿革】
昭和14年(1929年)、名古屋にて東、西日本洋服組合連合会が合併して、今日の全服連の前身である全日本洋服組合連合会が結成。初代会長に星島二郎氏が就任した。21年協同組合法施工に伴い、下部組織が変わる。この年より、協同組合の連合会として業界の課題に取り組み、活性化、発展のための活動を推進、継続してきた(1954年刊行、全日本洋服総鑑より)。2020年で創立80年を迎える。戦後の日本の洋服文化を支え、1900年代はバブル経済に向けて、着実に歩んできたと言えるだろう。

全服連の使命は、技術の向上と後進への伝承、業界の将来を担う若手技術者の育成を主目的とする。その大きな事業として「全日本紳士服技術コンクール」が行われた。厚労省(当時厚生省、労働省)、経産省(当時は通産省)等の後援を得て、全国から参加した技術者がその技を競うというもので、大臣賞に加え、最優秀賞には高松宮殿下より高松宮杯が贈られた。2年に1回開催され、多くの技術者がこのコンクールを目指して日々研鑽、努力した。優秀賞を獲得すれば、テーラー経営者からのスカウトの中心となり、また、経営者はこうした人材を抱えることで、注文が殺到するなど、商工とも、大いに発展、隆盛した。

1960年から70年代にかけて、既製服(アパレル)業界が、テーラーの仕立て技術を学び、良質で安価なスーツを作るようになり、着々と市場におけるシェアを拡大。1970年ころには、アメリカの洋服文化が若者に支持されるようになり、新たなファッションスタイル、スーツ市場が急速に拡大していった。

1986年(昭和61年)~1991年(平成3 年)、日本経済はバブル期を迎える。資産価格の上昇と好景気により、注文洋服業界は空前の売り上げを記録した。20万円、30万円の注文洋服がどんどん売れ、服地では1千万円の商品(大阪の藤井毛織が開発)まで登場した。百貨店では、東京日本橋の三越本店オーダーサロンが年商20 億円を突破し、話題になった。この時の通産省による商業統計調査では、注文洋服業界の業界規模は1,700 億円を上回っていた。

全服連においては、傘下11組合ほどあり、組合員数は約4,000人あまりとなっていた。しかし、平成に入り、バブル経済崩壊とともに、価格破壊が起こり、「洋服のあおやま」はじめ、量販店による既製スーツが2万円、3万円の時代に突入した。注文洋服業界は急速に縮小へと動いた。後継者がいない、技術と価格の評価が市場に合わない、高齢化が進んでいる-など、商工両輪がうまく噛み合わなくなっていった。

全服連は2015年、東京、大阪が退会し、愛知組合が休会となり、兵庫県の1組合単組で昨年まで維持してきた。これでは、業界の衰退が目に見えているとの意見から、もう一度、現存している4組合が団結し、業界の発展を目指そうと奮起。昨年、名古屋に4組合の理事長が集結し、新生全服連結成を話し合い、実現する運びとなった。事業活動として、後継者育成、技術の継承を主目的に掲げるが、2021年はテーラーの世界大会が日本で開催されることになった。これを業界への呼び水にしようとの案から、4組合が団結し、新生全服連のスタートを切ることになった。

記:(株)BS 通信 武田啓治


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